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苦手なことに取り組む

明日がいよいよフルマラソン本番ということでだんだん早寝早起きにシフトしています。最近ちょっと夜更かしモードだったので布団から出るまでちょっと勇気がいります。

木曜日は3月30日の講演の打ち合わせに出かけました。今のところ保護者や学校の先生たちの申し込みが多いとのことですが、まだ空きがあるので興味のある方はぜひお越しください(http://ameblo.jp/premium-supporters/entry-10460952701.html)。

打ち合わせの後はインソールのお店で最終チェック。体のケアも一緒にしてもらいました。だいぶフォームなども改善されてきたのでとにかくできる所まで頑張ろうと思います。

それにしてもマラソンは私にとっては苦手中の苦手な種目だけにかなり時間とお金をかけて準備しました。「ここまでやる必要はあるのか?」とも思うのですが、今まで色々トレーニングしてみて実感しているのは「一番苦手な所が残っている」ということ。弱い部分が結局苦手な形として残っているとしたら、道具や人手といった色々な助けを借りて挑戦してみてもいいのかな、と考えたのです。

ただ苦手なものにチャレンジしてよく分かったのは苦手なものというのはやはりいくら努力しても苦手なんだなということ。夫はマラソンに関しては才能があるようで、そんなに練習しなくても早く走れるし翌日以降の疲れも残りません。

一方私はマラソンは苦手な要素の塊なのでとにかく正しい姿勢で走れるようにするまでが一苦労。ピラティスやジャイロトニックのトレーニングを真面目に行った上で靴やウエアで関節や筋力の弱さをカバーし、関節などを正しい位置に戻してもらうケアも並行しながら練習しています。
同じことを行うまでにこれだけの差がある、というのは療育などでも同じことなのかもしれません。発達障害の人が社会の中で生きて行くのは定型発達の人から考えたら途方もない努力を重ねています。一見うまく行っている人でも小さな工夫と努力の積み重ねで成り立っていることが多いものです。

ただ最近の療育の風潮として「苦手なことはやらなくてもいい」という流れになっていることに関しては、私は違和感を覚えています。苦手なことに取り組むにはかなりの下準備をした上でスモールステップで行うのが基本としても、苦手なことを避けていても結局それが残るし、案外一番必要なことでもあるのです。

ぜひそのことを支援者や家族は忘れないでほしいと思います。

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コメント

苦手なことにも取り組むことの重要性、本当に体感しています。
うちの子も私も、苦手なことに自分で対処できるようになるとパニックが激減したし、自信もついたようです。

>最近の療育の風潮として「苦手なことはやらなくてもいい」という流れになっている

少なくとも私の近辺ではこういう態度の療育者にお目にかかったことがないのですが…
だっていくら苦手と言っても、対人関係スキルとか、生きていく上で不可欠ですもの。
苦手なことに取り組む際の問題分析、課題設定に、療育者のスキルによる差が激しいな、とは思いますが。

投稿: めえめえ | 2010年3月26日 (金) 10時04分

めえめえさん、コメントありがとうございます。
メールも拝見しました。

>少なくとも私の近辺ではこういう態度の療育者にお目>にかかったことがないのですが…
>だっていくら苦手と言っても、対人関係スキルとか、>生きていく上で不可欠ですもの。
>苦手なことに取り組む際の問題分析、課題設定に、療>育者のスキルによる差が激しいな、とは思いますが。

この辺りはかなり地域格差や療育をする人の考え方などに大きく左右されているかもしれません。

ただ色々な方とお会いし、療育現場で働いていると「苦手なことはやらないでいい」という風潮を感じることがあります。

「得意なことを伸ばす」ことが強調されるあまり苦手なことに取り組むことを軽視する流れがあるのかな、と思っています。

就労や結婚生活で結局残るのは苦手なことですから、いろいろ工夫して取り組んでほしいと願ってやみません。

投稿: 秋桜 | 2010年3月26日 (金) 18時54分

>ただ最近の療育の風潮として「苦手なことはやらなくてもいい」という流れになっている、、、

言語知、視覚知という区分があるばかりではなく、下位検査項目が複数あるウィスクラーをはじめて受けた時に改めて感じた事なのですが、人間が日常生活を送る際にも要求される知力は、まさしく集合的複合的なものなのであって、一元的単一的なものではない、という事なのです。この点にまず留意しておかないと、特に発達障害の場合における長所と短所の周囲の捉え方は見誤ったものになって仕舞う恐れがあると思います。

人間の知力は筋力に喩える事が出来ます。腹筋、二頭筋等、全身の各所に配置されている複数の筋力は、まさしく集合的複合的総合的に使用されてはじめて私が球技の際にボールを投げたり、走ったり、体のバランスをとったりする助けとなるのですが、逆に、たとえば私の首の筋肉の一箇所だけが極端に弱かったりすると、たとえ他の多くの筋肉が良好に発達していていたとしても、私の運動パフォーマンスは極端に低下して仕舞います。何も首の筋肉ではなくても、手の筋肉でもいいし、胴の筋肉でも足の筋肉でもいい。その中のたった一箇所だけが部分的に極端に弱いというだけで、ボールの飛距離が極端に落ちたり、走る速度が極端に落ちたり、体のバランスが上手く取れなかったりするのです。

発達障害の知的な部分的弱さが引きこす弊害もこれと同じで、たとえ、他方では一面的にはずば抜けた知的能力をもっていたとしても、知的能力の複合的総合的な発揮を期待される日常生活や社会生活の仕事の場面においては、ほとんど恩恵をえられない事が多いです。文字道り短所が足をひっぱるのです

で、私が結局何をいいたいのかというと、長所を伸ばすという観点から、苦手なことはやらなくてもいい、苦手な事は療育しなくていいという考えを導き出す安易さは、発達障害者のかかえこむ問題の複雑さを考えた場合においてはどうしても批判的にならざるをえません。この点については秋桜と同じ様に違和感を覚えます。この事は当然ながら、一方の長所を活かすという意味でも、短所はなるべく取り除くとまではいかないまでも、何とか克服出来ないものかという可能性の模索は常に頭においておかないといけません。かといって、短所の克服という名目の許に本人のやる気を削ぐ様なやり方には私は賛成しません。私にはそう思われます。

投稿: ウォルフル | 2010年7月19日 (月) 12時45分

ウォルフルさん、コメントをありがとうございます。
しばらく内容について考えていたらお返事が遅くなってしまいました。すみません。

私も概ね同じ意見です。苦手なこともある程度取り組んだ経験がないと長所も生かしきれないことはよく見られます。

長所から短所をどうカバーするか、長所を活かすために短所にどう取り組むか、周囲の人達が柔軟に考えていくことが大事だと思っています。

投稿: 秋桜 | 2010年11月21日 (日) 14時16分

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